ご心配いただきましたが、主人も昨日夜にシンガポールに脱出。ひとまずホッとしました。でも、昨日のジャカルタは静かながらかなり緊張をはらんだ雰囲気で、空港までのバスもパトカーに先導され、空港もかなり殺気立った雰囲気だったそうです。
シンガポール行きの便も、23時30分発の予定が、予約した人が乗るまでまったので深夜3時の出発でした。まだ、事務所に残っている人もいるので、先行きが心配です。
さて、日本に帰ってご飯とお味噌汁、おいしい漬物を食べていると、あのジャカルタ生活のことがうそみたいですが、テレビのスハルトの演説の中に一部わかるところがあったりして、ああ、本当にいたんだな、と実感。
心配して実家に電話してくれた友達と話して、「グッチのバックとかみんなおいてきた」というところで、皆さん、どんなに大変な事態だったか察してくれるみたいです。あのジャカルタの家は一軒家で、しかもまわりは華僑ばっかり。もうあそこにおいてきたもののことはあきらめていますが、今にして思えば、あのアンティークグラスとか祖父の焼いてくれたお茶碗とか、持ってくればよかった。
いざという時、しかも短い時間で、何をもってくるか選択するのはとても難しい。とくに私のように用心の悪い人間は。結局洗濯物なんかトランクに入っていたりしていました。
でも、女だったら、たとえば下着とか、どれもっていくか考えますよね。ペルラかワコールか、とか。私も最初にホテルに避難したときは、捨ててもいいような下着を持っていって、いざ日本に帰っても、こちらにまた帰るときは置いていこうと、思ってました。でも、帰国が決まったときは、(ひょっとしてと思ったので)高い下着から荷物につめました。だから、避難生活中も、ジーンズにTシャツ、でも、下はセットで3万円くらいの下着をつけていました。このように、今回いろいろ学んだので私なりに整理してみました。
どんなずぼらな人でもできる危機管理
危険度1地域に駐在する駐在員婦人の心得
1 非常持ち出しバックはムダ
非常持ち出しバックとか作っても、貴重品(アクセサリーなんか)とかちょっと出して使ったりして、本当にいざというときには大切なものはバラバラなんていうこと、ありませんか? だから、ずぼらな人はそんなバックあってもむだ。とりあえず、本当の貴重品は一つの引き出しにいれておいて、いざというときはその引き出しごとバックにあければいい、というようにしましょう。
2 バックアップは必ずとりましょう
今回の避難に際し、危機感の程度によってみんな持ち出したものはバラバラでした。一般的な意見としては「お金で買えないもの」が優先。私は住所録、仕事の資料、フロッピー、何年もかけて集めたお料理のレシピ。友人は写真のネガ等持ってきたそうです。そこで、思うのはバックアップの大切さ。紙類は結構重量があるので、あまりたくさんは持ってこられません。もし、外国暮らしをする場合、二度と手に入らないものでコピーができるものは、バックアップコピーをとること。私のお料理の先生はレシピはコピーして貸し金庫にあずけてあるそうです。
3 保存食料は大切(自宅篭城の場合)
ひもじい思いをするほどではありませんでしたが、自宅待機が長くなるとまず不安なのが食料。平和な時でも、お米、水(日本以外は水は買わなければならない国が多いはず)、カップラーメン等の備蓄は大切。でも、日本にはたくさんある、日持ちがして、レンジでチンするだけなんていう便利な食品は、危険度1地域には多分ないでしょう。日本からレンジ食品、缶詰等は沢山持っていくのが正解。
(向こうにある缶詰は古いし、あまりおいしいものもないので、私もぜんぜん買っていませんでした)
4 保存食料は大切(ホテル避難の場合)
ホテルなら安心なんて大間違い。日本なら何とかしてくれるかもしれないけど、ああいう国は昨日まで贅沢なビュッフェをやっていたレストランが突然クローズなんてことも。華僑の人が電気釜を下げて廊下を歩いているのを見て、深く反省しました。そこまでしなくても、ホテルのベーカリーにパンがあったら必ず買って、食べなくても次が手に入ったら捨てるようにしましょう。空港にいくときも、日本人学校の子供たちみたいになったら大変なので、水とパンだけは持っていきました。
5 可能な限りのやじ馬は大切
情報が入らないのが一番パニックになりやすい。危険なところに近づくのはもちろん避けたいことですが、できる限り自分の目や耳で情報収集したほうが、事態を掌握できます。わたしの場合、会社の安全対策室に知られたら問題になるところですが、コンプレックスの門の手前から略奪をみました。(もちろん主人もいっしょ)それを見たことで、家に対するあきらめもついたし、あと、略奪している人たちが意外にのんびりしていることもわかった。マンション暮らしでも、屋上で双眼鏡片手に、ずっとインターネットで、火災情報をおくってくれた人もいました。わたしは一軒家暮らしなので、人より危機感があったとおもいますが、マンションぐらしの友人の中には「一週間程度で戻れる」と信じてペットをおいて避難した人も。
6 避難生活にもうるおいを
自宅篭城やホテル避難、空港での待機。緊迫していても何もやることがないと、人間いらいらして、気力もなえてしまいます。夫婦仲も険悪になったりして。荷物にならない程度の気晴らし用品(トランプ、ウノ、本)は大切。わたしはコンピュータを持っていって本当によかった。じゃかるた通信を書くことで気力を維持できました。皆様からのダイレクトな反応にもとても勇気づけられました。
7 ものに執着する人へ
わたし、かなりものには執着のある方で、新婚生活用の食器、キッチン用品、値ははらなくても、かなり凝って集めました。でも、全部おいてくる羽目に。結論として、あきらめのいいひと、こだらわない人は別として、駐在地には何にも持っていかないこと。現地でお気に入りのものを集めても、現地で買ったものならあきらめもつく。トランクひとつで赴任なさった伝説の某婦人をみならいたいと思います。
ということで、どんなに用意しても、くるときはくるし、あきらめるときは、人間あきらめがつきます。でも、もしジャカルタがメチャクチャになったら悲しい。結局、駐在員の暮らしは借り物の時間、借り物の土地に過ぎません。ジャカルタに住んでいたとはいえ、今にして思えば、地に足のついていない「借り暮らしのニョニャ」だったとつくづく思います。でも、こんなことがあっても、絶対もう一回ジャカルタに戻って暮らしたい。インドネシアは好きな人と嫌いな人に結構別れますが、わたしはわけのわからないことがいっぱいある、ジャカルタが好き。今度戻る時はぜんぜん違う場所になっているかもしれないけれど、その時はじゃかるた通信をまた再開したいと思います。
いろいろ心配してくださって本当にありがとうございました。
前田美紀
5月19日朝7時25分、無事帰国しました。
ご心配いただいて本当にありがとうございました。
帰国が知らされたのは2日前ですが、秘密になっていたので、メールには書けませんでした。夫の会社名を知っている方、申し訳ありませんがいわないでね。
5月18日午前4:30にホテルに集合。6時に大使館のバスに分乗して、一路空港へ。今回の帰国は家族のみで、総勢葯百名の 大出国計画。しかもその半数が子供。生後1年未満の子も3人ぐらいいます。ホテルの前で見送りにきた夫とお別れ。彼とはまた会えると確信していましたが、見送りにきてくれた二人の運転手(わたしのと夫の)を見てさすがに、涙が。彼らとはもうあえないかも知れない。略奪がすぐ近くであった夜、門番さんが帰ってくるまでと、明け方まで家を守ってくれたスヨノさん。(うちの門番さんはスクールバスの添乗員の仕事と兼業なので、日本人学校の子供といっしょに明け方まで帰ってこられなかったのです。)私のへたなインドネシア語をきいて、「ニョニャ、
バグース」とほめてくれたアスリさん。二人とはいつまた会えるのでしょう。
空港への道は順調で、高速は騒ぎの発端となったトリサクティ大学のすぐそばを走ります。その近さにあそこが騒ぎになったら空港への道は閉ざされてしまうのがよくわかりました。そして、高速からみえる、川沿いのインドネシアの貧しい、本当に貧しい家々。
今まで、どうして気がつかなかったのでしょう。
30分ほどで、空港の近くのホテルに到着。午前便の関空組は直接空港にむかいましたが、成田いきの臨時便(救援機というそうです)は夜11時近い出発。今は午前7時なので、12時間ぐらいここで待機。朝、昼、晩ご飯はホテルの中で食べ、待つだけの長い一日。ホテルはバリのホテルのようで、ロビーにも人はいっぱいですが、プールサイドでお茶をしていると、まるで何のためにここにいるのか忘れてしまいそうに、のどかです。外人の親子がプールで水飛沫をあげています。彼らも避難生活のはずですが、しっかり水着やウェットスーツをもっているところが、さすが白人。
みんなが待機している大部屋にもどると、3時ごろのCNNで、20日にむけて大規模の集会が予測され、ジャカルタはめちゃくちゃになるのでは、という暗い予想が待っていました。
みな、残してきた夫のことを考え、夕食中も会話はと切れがちです。
待機が終わり、バスで5分ほどの空港へ。スカルノハッタ空港についてまず驚いたのは、駐車場の異様な車の数。そして、空港のエンタランスにも二重三重に車がとまってバス一台通るのがやっと。全部乗り捨てられた車です。華僑の人たちが命懸けで出国していったあとです。これをかたずけないと明日はさらに混乱するのに。昼間の夫からの電話によれば、今日も静かながら人が国会に集まり、空港への高速は一時閉鎖になったそうです。
出発をはやくしたのは、大正解でした。ぎりぎりまで待機したので、夜の便のチェックインのピークはもう終わったのでしょう。思ったほど身動きとれないような状態ではありません。でも、この子供の多い団体が広い空港のロビーを横切ってイミグレーションにつくまでが、至難の業。もちろん会社の人は何人かずっとつきそってくれていますが、「お子さんの手を放さないでください。迷子になっても探している時間はありません」と、声をはりあげています。子供2人以上のお母さんが多く、子なしの女性がみんなでサポート。知らない子供の手を握って、イミグレまでの距離の遠かったこと。ここはクーラーがないこともあって、ランドセルの男の子と、私の手は汗でべとべと。
さぞ、気持ち悪いだろうと思ったけれど、彼もずっと手をしっかりつないでいてくれました。とりあえず、誰もこぼれることなしに出国。これも、会社の手配のおかげです。混雑した空港で、汗だくになって家族をまとめる人たちに比べ、わたしたちは申し訳ないほど順調な出国でした。
チケットのお値段は914USドルの臨時便はほぼ満席。全席エコノミーですが、普通のジャンボなので、たまたま前の席の人はとてもラッキー。飛行機のニュースで「スカルノ退陣への動き」があるとか。夫を残してきている私たちは「明日やめてくれ」と成田でデモをしようかと、冗談をいいながらも気持ちは真剣。軍隊が町にあんなにでているのに、また暴動になったら、流血の惨事はまぬがれないのでは。
うわさでは、ターゲットとなる銀行や商店は徹底的に選別されているとか。華僑と大統領系のところがやられています。私たちがよく買い物にいくナショナル麻布みたいなキムチックスという西洋人向けのスーパーは無事で、もう営業しています。これも華僑系なのですが、ここのオーナーは普段から地元に寄付をたくさんしているよい華僑だそうです。この前目にした、めちゃくちゃになったHONDAのディーラーと、すぐそばなのに無事だったBMWが思い出されます。一見無法地帯のようで、スハルト退陣にむけての、誰かの作為が感じられます。これがこの国の産みの苦しみだと、夫はいいます。でもその苦しみが終わった後、本当にあの人たちの生活がよくなるのでしょうか。
自分たちの生活手段や、国までめちゃくちゃにしないといられないほど、インドネシアの人たちは貧しいのです。はやく危険度5になって、夫も含め、残っている日本人がとりあえず、20日はシンガポールにでもでてくれるといいのですが。
前田美紀
ついに危険度4!
昼ごろ危険度4にあがったという連絡があり、あわててインターネットでニュースをみたら本当でした。たしか危険度って5まで?
昨日、今日と町はとても静かです。交通量もこのへんは少なく、大きな交差点には迷彩もようのタンクがとまっています。実は昨日 自宅に戻ってみました。結構夫もわたしも緊張して、「だめだよ、そんな格好じゃ」と怒られ、わざわざジーパンとTシャツに着替えていったのですが、何事もありませんでした。途中家の反対側の通りの燃えていた場所をとおりました。あと、家のそばのHondaはぼこぼこ。なぜかBMWは無事。我が家のありコンプレックスも、もう扉は施錠されておらず、軍の人が門番さんとチェスをやっていました。軍にお金をだして守ってもらい、軍はそれでサイドビジネスにする。これもジャカルタの商法です。通りの建物の塀に汚い落書きのように「これはプリブミ(インドネシア人)の持ち物です」と書いてあります。どれだけ効果があるかは、わかりませんが、それだけ華僑が憎まれているということ。その華僑の金持ちの多い我がコンプレックスは、といえば無事でした。そしてどの家にもインドネシアの国旗が半旗になっている。まさかインドネシア人を装っているのかと思いきや、死んだ大学生に哀悼の意を表すという意味でした。なんと、我が家にも半旗が。門番さんがあげたのですが、いったいこの家のどこにそんなものがあったのでしょう。あわただしく必要なものだけを持って、逃げるように家を出るときはさすがに、いつ戻ってこれるのかと感無量でした。たったひと月の我が家。
あまりに家を離れるのが長くなれば、いまは忠実な門番さんの夫婦もどうなるかわからないし、今度きたときには家の中身はすっからかん、なんてことがあっても不思議ではありません。現金、宝石はないけれど、この家のものを全部売り払えば、かなり長く二人は働かないでくらせます。決して悪い人ではありません。でも、それだけ貧しいのです。
そして、昨夜は外が平穏なのでホテル篭城組5人でヒルトンホテルで豪華な中華の晩餐。「インドネシア暴動激化」なんていう見出しの新聞を読みながら、「まさか日本じゃこんなとこで中華食ってるなんて思わないだろうな」という発言も。心配してくださっている皆様には申し訳ないのですが、中華はおいしかった。このホテルはやはりプレジデントよりかなり高級で、レストランにいる華僑の家族もいかにもお金持ち。プレジデントホテルのシングルルームに8人もとまっている華僑の人々にくらべると、別世界です。
今日のテレビは「正常化」の一色で、町をまもる軍隊と市民の交流。再開した市場を訪れる通商大臣といった光景がうつしだされていました。「ジャカルタはおれたちが守る」と、胸をはる軍隊。でも、何から、誰から、誰を守るのでしょう。市民と暴徒の境は明確ではありません。その一方で出国する人は続々。」
今日の夜もホテルの前に大使館のチャーターした空港いきのバスが連なり、ぞくぞく出国していきます。「パパ、がんばってね」と無邪気に手をふる子供。別れの光景は明日は我が身です。
前田美紀
お久しぶりです。ずっと岡田君のアドレスにも送っていたんだけど、かえってくるのでおかしいなと思っていました。河瀬さんよりアドレスをもらい、緊迫のじゃかるた通信をお届けします。たんなる友達と編集業界の人への通信だったのですが、途中で大事になってきました。ニュース性があるのでホームページにのせてもいいよ。でも、必要な情報はたくさんもらったので、もう大丈夫です。皆さんにご心配おかけしました。 今は空港への道は正常です。14日に無理に国外に出ようとしたひとたちは結構大変なめにあったみたいですが、(今テレビにでている方のほとんどがそう)今日の時点では、予約さえあれば普通に国外に出られます。商社で一番家族の帰国の決意がはやかったのは日商岩井でした。チャーター便で早々と脱出し、ホームページでしっかり暴露されていました。
じゃかるた通信・今日は緊迫しています。
5月13日
皆様、お元気ですか。
ジャカルタにきてからはや一月近くになります。
一階にはクーラのない巨大な(3ベッドルーム)吹き抜けのインドネシア風の一軒家の暮らしも、時々お湯がでなくなったり、何の理由もなくヒューズがとんだり、料理するとエアロビ一時間と同じくらい汗をかくほかは、結構快適です。
(おそうじと洗濯のメイドさんはいるのですが、料理の人はいません。キッチンはメイドの領分なので当然クーラーなどありません。どんな近代的なマンションも同じです)
こちらの駐在員妻はニョニャ(インドネシア語で奥様の意味、もっとお金持ちの奥さんはイブと呼ぶらしい)と呼ばれ、弊社だけでも50人のニョニャがいます。
ニョニャたちはゴルフ、ブリッジ、バリ舞踊など、退屈な駐妻の日々をなぐさめる
ために用意された、ありとあらゆるおけいこごとに飛び回り、とても忙しくしていらっしゃいます。
インドネシアの情勢がどんなに緊迫しても、ニョニャたちの日常は、あくまでインドネシアに
あってインドネシアではない、日本人社会の中に存在するので、かかわりありません。
しかし、本日はちょっと緊迫しています。
先日初めてジャカルタ市内の学生デモで6人死者がでました。
いままでの事件はすべて市内ではないので、日本の皆様
が思うほどは、市内には混乱はありません。
今日はたまたま毎日新聞のジャカルタ支局の方に会いにいったら、次々入る電話で、「Shooting?」とか、「へロー(インドネシアのセイユーみたいなところ)の屋根の上にスパイナーがいる」とか、緊迫した情勢がうかがえました。
やっぱり、セイユーの上に、狙撃部隊がいるのは日常ではないな、とインドネシアにきて始めて、情勢を実感しました。
家にかえる途中のアトマジャヤという大学(上智大のようなこじんまりしたキリスト教系カレッジ)にも、人が集結し、遠回りして帰りました。
帰宅すると、午後に約束していたニョニャからTELで、彼女のマンションから火災(ガソリンスタンドが放火された)が見えるそうです。
さすがのニョニャたちも今日はだんな様から外出禁止令がだされています。いままで、暑さとたたかい、毎日の献立を考えるだけで精一杯だった日々でしたがやっと、暑さボケの頭も、本日の出来事で、覚醒したようです。
どなたか、インターネットで一番ヘッドラインがはやいニュースページを教えてください。なにしろ、こちらのNHKはさっきつけたらおすもうをやっていましたから。
前田美紀
じゃかるた通信・今日はさらに緊迫しています
5月14日
昨日にひきつづき、今日はさらに緊迫しています。
今日は全国から学生が集結してデモがあり、ジャカルタへの高速道路は封鎖されています。デモはジャカルタの北の方から、始まり商店の略奪も起こっているようです。会社、学校はお休みになり、商店も華僑系の大きなスーパーから小さなお店までしまっています。
先ほど、会社の待機で帰宅した主人といっしょに両替のため、車で街にでましたが、いつもは渋滞のジャカルタの道がまったく車がいません。会社のあるタムリン(日本でいえば丸の内のようなところ)から北を見ると、何個所も煙りがあがっています。
一番困るのは情報が少ないことで、日本ならこんなことがあればすぐにライブ中継で、「今デモは日比谷公園を通過」とか逐一わかるのに、やはり情報が統制されているこの国では、そんな番組はやっていません。おとといのデモの死者も六人といわれていますが、本当は行方不明者はもっといるとのうわさ。でも、この国で、本当の死者の数がわかることは永遠にないでしょう。
またルピアが下がって一万円両替したら、65万ルピアきました。つい先日は54万
ルピアでした。幸いなことに、今日はブランドものを売っているショッピングプラザもお休みで、ブルガリに走ることもありません。
ニョニャ(駐在員妻)の間でも、三菱系は緊急連絡用に奥さん全員に携帯電話をもたせているとか、さまざまなうわさがまわります。でも、某社はすでに脱出用のシンガポール行きのチケットを、とっくの昔に渡しています。
以上、町中がなんとなく煙いジャカルタからお伝えしました。
前田美紀
じゃかるた通信・さらに緊迫
5月14日
本日5:00以降、軍に暴徒鎮圧のための発砲を
許可すると、テレビで発表がありました。
華僑の人の情報によると、暴動はかなり計画的で二台のトラックが先導し、トラックが道沿いの商店や銀行につっこみ、そのあと近隣の人たちが略奪するというシステム。
かげで先導しているのはベニー・ムルダニ国防治安調整大臣(スハルトと仲が悪い)といううわさです。私のすむコンプレックス(住宅集合体)は塀に囲まれ、今日は門を閉ざしいますが、門のすぐ外の巨大スーパーが略奪されていました。なんと、野次馬しにいってきましたが、みんな門の中から見ていました。今は道の反対側が燃えているので、そちらの方向の空が赤く見えます。
というような状況なのですが、ひとつだけ笑える出来事がありました。実はきたばかりのころ、ほかのニョニャの家に集まった時に注文家具屋のおじさんがきて、みんなで小家具をオーダーしたのです。おじさんは昨日できた家具を配達すると言っていましたが、こちらはあわてて帰宅したので、ルピアを持っていません。明日にしてほしいといって電話を切ったのですが、今日のこの騒ぎですっかり忘れていました。先ほど、おじさんから電話があり、「ブロックM(略奪にあっている飲み屋街)まできたが、勇気がなくてこれ以上いかれない。ごめんなさい。明日電話します」といってきました。おじさん、えらい。この状況で日本人が帰国してしまったら、お金をとりはぐれてしまう。きっと必死できたんだと思います。インドネシア人は、騒ぎに乗じて略奪する人もいれば、おじさんのようにまじめに商売している人もいるんです。
明日からどういう状況になるかわかりませんが、
おじさんも、私も無事に会えるといいのですが。
じゃかるた通信・昨日はあぶなかった
5月15日
昨日自宅のコンプレックスの門の前のスーパーが略奪されていましたが、深夜12時頃、また略奪が開始され、コンプレックスの門をのりこえようとする動きがあったらしい。この町内会の自警団が急遽組織され、各戸明かりを消して戸締まりするようにとのお達しがまわってきました。それから、住人(華僑の金持ちのだんな)たちが門の前で、侵入者を撃退するべく集合という事態がありました。
わがだんなも駆けつけましたが、みんなが手にしていたえものはゴルフクラブ。さすが華僑。普段は自宅の門の中から車で出入りしてしまうので、ぜんぜんご近所つきあいなんてないし、だいたい使用人以外が歩いているのを見たこともないのに、この団結。
華僑の人たちはこの塀を乗り越えられたらどんなことになるか、よくわかっているのです。
しかし、一夜あけ、「いっしょにがんばろう」とご近所と約束したにもかかわらず、我が家は会社の指示でプレジデントホテルに脱出。ごめんね。やはり、ジャカルタに生きる華僑たちと違って、日本人は腰がひけています。
会社から見るとまだ、煙があがっているところがずいぶんあります。ホテルは普段の稼働率が30%なのに、本日はフルブッキング。フロントに部屋を求める人々が殺到。
ベーカリーもパンがすべて売り切れでカフェのマネージャーにおねがいしてわけてもらいました。(非常用に)カフェのマネージャーが私に「We
don't like President!」というので、「おいおい、そんなこといっていいのかよ」と思わず周りをみてしまいました。でも国の変化というものは、このように突然やってくるのですね。
友人(違う会社)はこれからホテルに避難し、17日の飛行機で帰国することになったといっていました。その他マンションといえど、住民と暴徒のにらみあいが続いているところもあり、大使館に避難している人もあるとか。
家具屋のおじさんですが、本日朝8時にきました。ごくろうさま。
はたしてひと月しか暮らしていないけれど我が家に戻れる可能性はあるのでしょうか。
とにかく、情報が入らないのが一番困ります。日本の皆様、夕刊にでていることがあったら教えてください。
前田美紀
じゃかるた通信4
5月16日
皆様情報をありがとうございます。やっぱりインターネットの便利さを実感しています。避難するときも持ってきてよかった。
さて、昨日15日は平穏に過ぎ、タムリンは警戒がもっとも厳しい地域なので、通りを戦車がいきかい、とても静かでした。
しかし、マンションの友人からはまだ、煙が見えたとの通報もあり、よろずインドネシアのホームページでみり限りではまだまだ、あちこち問題があるようです。
こんな時情報の洪水になれている私たち日本人には情報が一番大事。日本を始めとする海外のメディアがやはり一番正確です。こちらの放送局は3つあり、一局はかなり過激な映像を流していました。でも、一番ほしい情報、今空港までの道は安全か、どこが危ないか、などはやはり口コミの世界。駐在員の間を個人のE-MAILがとびかっています。特によろずインドネシアというホームページには生きた情報が続々在インドネシア邦人からアップされています。
さて、各企業の駐在員は現在自宅(今はほとんどマンション住まいです)待機の状態が多いと思いますが、まず一歩もマンションの敷地からでられない。普段でも、ドライバーがいないと町にでられず、自分での運転、公共の輸送機関(タクシー、バス等)の使用もみあわせている企業がほとんどです。
つまり、歩いて10分のところのAMPMにも、運転手つきの車じゃないといかれないし、今はそれさえできない状態です。もちろん、マンションといっても、ジム、プール付きが多く、なかにはリゾートホテルのようなところも多いのです
が、買い物にいかれないとまず困るのが食料です。
友人に電話したところ、幸い、まだ米、麺類の備蓄に困っているほどの人はいませんが、水、野菜等は平素から備蓄している人は少ない。なんといってもすべてを冷蔵庫にいれないと、すぐにアリやゴキブリがやってくるこの地では、私もあ
まり買い置きというものはしていませんでした。
水は水道の水は飲まないので、アクアという殺菌済みの水を買っています。各家庭にディスペンサーがあり、一ガロンいりのアクアを配達してもらうのですが(日本でも外資系のオフィスによくある、逆さになった巨大な水のボトルです
)、昨日は配達もしてもらえず、スーパーは略奪されているか、閉店状態なので、外にでても変えない状態です。
ホテルは今のところ食事には困りませんが、わたしのいるプレジデントホテルも 6つのレストランのうち、3つが休業。今朝は朝食のバイキングが華僑の大家族によって、品切れといううわさが流れ、あわてていきましたが、とりあえずOKで
した。でもホテルのレストランがクローズするとこわいので、ベーカリーにパン
があるときは無駄になっても必ず買っています。
帰国する会社も続々でていますが、会社を超えたネットワークのニョニャ情報が各社の帰国予定については一番速く正確です。
朝、空港にいる人からの電話によれば、空港への道はすいていて、危険もなく、チケットの発券もカウンターでおこなわれ、予約があれば発券してもらえます。
並んでいる人も20人くらいだったとか。
14日にお客さんを送って空港にいった人は、高速が閉鎖中で、下の道をとおったのですが、いたるところに私設の関所があり、1000ルピア札をばらまきながら、突っ走ったそうです。帰りはお金がつきていて、車はぼこぼこにされたそ
うです。
大企業の駐在員はまだ恵まれていますが、現地企業の日本人社員の方、ジャカルタ市内以外の方は結構危険なめにあっています。
もう終わったという人もいれば、まだこれからという人もいます。20日になにがおきるのかが一番心配です。20日がジャカルタの一番長い日になったらどうしましょう。こうやってホテルにいると、近藤こういちの書いた「サイゴンの一番長い日」の、陥落直前のサイゴンのホテルの状況を思い出します。
ホテルの中は、静かで、外とはまったく違う時間が流れています。一歩でればいいだけなのに、その一歩を超えることがなかなかできないのです。ひょっとしたら、今度のじゃかるた通信は日本からになるかも。
前田美紀
tokada@po1.kikimimi.ne.jp