Report from Jakaruta2
(by Ms. Miki Maeda)
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ジャカルタ通信1/ジャカルタ通信3


1999May24th

 いやあ、19日よりついに選挙キャンペーン期間に突入。今日で4日めですが、とりたてて騒ぎもなくジャカルタは
平和です。
初日は48政党が参加するキックオフ大会で、渋滞を恐れて町は普段よりすきすき。
メインストリートの人様の会社(18F)に陣取りじっくり観察しましたが、一政党5台までという規則は大幅に破っていたのが、メガワティ率いる闘争民主党。
マークは赤に黒の水牛マーク。数は圧倒的。黄色の与党ゴルカルの車がないなと思っていたら、会場を出る所で、市民にこわされたそうです。

 翌日から一日10政党づつの日替わりキャンペーン。
こっちの選挙キャンペーンというのは、各党がそれぞれの集会場所(サッカーフィールドなど、要するにただの野っパラ)
で集会を行い、その後町に出るのですが、日本の街宣カーの走り回る選挙とはおお違い。大漁旗のような党の旗をもったり、Tシャツをきた人々が車やバイクで走り回るだけ。つまりただの暴走族ですね。
 市民は沿道に出て、今や遅しとお祭りの御神輿がくるのをまつかのように、うれしそうな顔でキャンペーンの一群が
通るのを待ちます。
一家4人が全員党のはちまきTシャツでお父さんとお母さん、子供2人サンドイッチ状態で一台のバイクにまたがっている光景も。(この乗りかたはこっちでは普通です。決して大きいバイクじゃない)
まあ、なんて熱心な支持者一家。と感動していたら、やっぱり裏があった。
日雇いサポーター制度。その党のキャンペーンに参加したい人は、ある場所に行ってサインすると一日2万ルピアもらえるらしい。一家4人なら8万ルピア。失業者が多いので、一日2万ルピアはありがたい。開けてはいても仕事のない
会社は、会社の車ごと、人をかして、もっともうけて
いるらしい。
英字新聞に今日の選挙こぼれ話みたいなコーナーがあって、メガワティ派のパレードに党のTシャツを着たオランウータン2匹が参加した、とか、取材陣が党大会のサッカーフィールド(しつこいけれど野っぱら)に行ったら前触れもなく党大会はキャンセル。牛が草を食べていた、とか、インドネシアらしい笑える話も。

結局毎日2万ルピアで同じ顔ぶれが参加しているようで、それならオランウータンでもかわりはないかも。

 でも、ジャカルタを見る限りでは「メガワティが勝たないと暴動になりそう」とうは某テレビ局デスクの弁。
圧倒的に人数が多く、与党ゴルカルはブーイングを
受けている。
でも地方はかわらずゴルカルが強いし、だいたい政党の名前なんかひとつしか知らない人もいっぱいいるのでは。
イリアンの木の上で生活する謎の民族というNHKの番組がこちらでも放映されましたが、こちらの話題は
もっぱら、「あの人たちも選挙権もってるのかな?」ということ。きっと持っても、ゴルカルしか知らないと思うよ。
バナナとかで買収されちゃったりして。


1999May10th

 さて、ご無沙汰しております。皆様いかがおすごしですか?
インドネシアといえば数え切れないほどの揉め事を抱えどれから書いていいかわからないくらい。
 まず、身近な所から言えば、西カリマンタンの人種暴動。なんと我が家のメイドさんの故郷であります。メイドのディナちゃんは16歳でジャカルタに出てきて以来22歳の今日まで一度も里帰りしていません。
それほど、遠いところです。
 彼女の故郷のすぐそばで暴動が起き、彼女は毎日心配していました。
暴動はもともと住んでいたダヤック族と、移住してきたマドゥーラ系住民の対立。何しろインドネシアって500くらい民族があるらしい。フライデーのダヤック人がマドゥーラ人の首を切って誇らしげにかかげている写真には思わず、背筋がぞくぞくっとなりました。でも巷ではダヤック人はおだやか。マドゥーラ人は移民としてあちこちに住んではいるが
「チュッパットマラ」つまり短気で怒りっぽい民族として悪評高し。
日本での報道は野蛮なダヤックがクローズアップされていたけれど、日本だって明治の手前の鳥羽伏見の戦いまでは、人の首を切って手柄の証拠にしていたんだから、まあいたしかたない。
でもこんな風に報道されると「まあ、オタクのメイドさんってダヤックなの?」

 なんてディナちゃんがいぢめられるとかわいそうと思っていましたが、インドネシア人って思ったよりそういう偏見がない。「あそこの地域の問題だから」って平然としている。(というより、あまりにいろいろありすぎて
慣れているのかも)でもダヤック族って人食い人種としても有名です。ディナちゃんのひいおじいち
ゃんあたりは絶対食ってた。でも、ディナはとってもいい子なんだよ。とりあえず
彼女の家族は無事でひと安心。

 さて、6月7日の選挙を控え、日本人の帰国ラッシュ。
友達もどんどんいなくなってさみしい限り。帰国前のニョニャたちのお土産買いの気合の入りかたと、ゴルフへの「絶対100をきってかえる」といった情熱は半端じゃなかった。先週は毎日お別れ会で食べ過ぎ。
駐妻のディープな世界にどっぷりはまりました。もう一年もたつのに、知らなかった衝撃の事実!うちのニョニャ会ってミニスカート、ノースリーブ禁止だったんだって。はやく言えっつうの。
もう何回もその格好で出席しちゃったよーん。だいたい普段はパンツしかはかないんだし、ちゃんとした格好って
いうからわざわざスカートはいてったのに、しっかり裏目にでました。

 5月19日から選挙キャンペーン期間に入り、街はリオのカーニバルのような騒乱状態になるので、外出できない軟禁状態になるかもしれない。帰国の人が一段落すると、今週くらいから食料、日用品の備蓄のための買い出しがはじまりそうです。

 こっちの選挙ってとても不思議です。なにしろ今まで民主的にやっていなかったし、44年ぶりに沢山の政党が競う自由選挙なんだから無理もないが、システムがよくわからない。
とにかく日本人みたいに普段から戸籍とか、住民票をちゃんとしているわけでもないので、まず選挙の前に登録に行きます。

 登録には書類(住民登録、結婚証明、運転免許など)が必要です。でも住民登録にはお金がかかるので、貧乏な人はジャカルタで長年働いていても、ジャカルタの住民登録カードを持っていない。
前は政府がお金をくれて、選挙の前はただで作ってくれたらしい。これって当然買収行為なので今回はなし。そのかわり住民登録以外の書類でも登録できるようにしました。
 登録すると引き換え券をくれて当日、それを持っていく。でも日本と違うところは、自分の名前が呼ばれるまで投票所で待っていなくちゃいけないらしい。「じゃあ、もしそのときいなかったら、もう投票できないの?」とびっくりして運転手さんにきいたら、そのとおり。選挙は半日がかりぐらいらしい。
 もし日本ガそんな風だったらただでさえお寒い投票率が限りなくゼロに近くなるかも。さらに
「もし、違う人があなたの引き換え券を持って投票しに行ったらわからないんじゃない?」ときくと、インドネシアの人はうーんと考え、「たしかにそうかも。でもそんなこと、今まで考えてもみなかった。
日本人っておかしなことを考えるね」と言われました。君たちはまだ、公正な選挙への厳しい道のりを知らないね。
でも二度投票する人がいないように、手に消えないスタンプを押すそうです。(ディスコみたいね。あっ、古いか)

 とにかく、今は平和なジャカルタですが、東ティムールを始め、地方は問題やまずみ。さらに12日は暴動の直接のきっかけになったトリサクティ大学の銃撃事件から一周年。さらに14日はジャカルタ暴動の一周年。今週から平和ぼけの頭をひきしめなくては。


1999March5th

 レバランも終わり、チャイニーズニューイヤーも終わり、そろそろ平和なジャカルタ生活も危ないのではと思いきや、まだまだ平穏です。しかし、帰国する方も多く、(3月の日本人学校の終業式をめどに)お別れ会ラッシュが続いています。
まだまだ平和な内に、平和な話題をひとつ。これは日本人がインドネシア人に対する時に発生する典型的なトラブルの一つ。日本人を困惑させるインドネシア人気質の一例です。

イブ ヘンドリーナ、ダブルぶっち事件
ジャカルタ生活のニョニャのお楽しみの一つとして、様々なグッズの訪問販売があります。バリレースのボゴールおばさん、バティックのバンドンおじさん。
ヴィトンのそっくりバックを2千円くらいで作ってくれるタスおじさんなど。その他、真珠、家具の注文、貴金属など、何でも日本人専門のかつぎ屋さんがいて、タッパーやアムウェイみたいに、誰かの家に
集まって買うわけ。群集心理もあり、すごくよく売れます。

 そして訪問の洋服仕立て屋さんとして、君臨しているのがイブ ヘンドリーナ。他のかつぎ屋さんがお茶も出してもらえないのにヘンドリーナおばさまはちょっと違う。大きくふくらませた髪型といい、こぎれいな洋服といい、インドネシアのいいところの奥さんの貫禄をかもしだしています。

パサール(市場)で安い生地を買い、その生地をヴェリーなどの切り抜きを見せて、仕立ててもらうのも、こちらならではの楽しみのひとつ。DKの20万ぐらいするワンピースを、生地代も含めて3千円くらいでコピーしようってんだから、なかなか経済的なお楽しみです。
何人も注文するし、決して一回では満足のいく仕上がりにならない為、一度注文しだすと、一週間に一度は誰かの家でイブと顔をあわせることになる。ひょっとしてジャカルタ市日本人村で一番頻繁に会うインドネシア人かもしれない。

 彼女は腕はいいのですが、時間に不正確なことには定評があります。
しかし、インドネシアには「ジャムカレット(ゴムの時間)」という
ことばがある通り、時間にはみんな不正確。昨日といえば、生まれてから昨日までずっとの時間のこと、明日といえば、明日から死ぬまでの時間をさします。だから一時間くらいの遅刻はみんな大目にみていたわけさ。しかしある日ニョニャAから私に携帯が入った。
「今日わたしの家にヘンドリーナとがくることになってましたよね」「うん、4時でしょ」「それがね、今日キャンセルになったんです」その日の4時になんと、全然別の人のマンションにも現れる約束をしていたことが判明。
ニョニャAは「ダブルブッキングか」と勢いこんでイブヘンドリーナに電話した。ところが本人は不在。
「イブは今、シンガポールに行っている」という。
二人のお客と約束しながら、いったいこれはどーゆーこと。ダブルブッキングならぬダブルぶっちだったわけだ。

 しかしニョニャAの怒りはそれでおさまらなかった。シンガポールから帰ったイブヘンドリーナは、コールバックをしてくれなかった。こちらから電話して「いったいどーゆーこと?」と問いただしても「シンガポールに行っていたのよ」と全然悪びれずに言う。(ニョニャAはインドネシア語が堪能なので、言語の問題ではない)インドネシア人は謝らないと巷では言われているが、顧客との約束をぶっちしたことに対する謝罪はついになかった。しかも忘れていたのかわざとやったのかも不明。

 さらに次の日、ニョニャAの怒りをさらに煽るような出来事があった。怒りに震えながら彼女が語ったところによると、次の約束は水曜日だというのに、月曜の午後、くつろぐ彼女のところにマンションのフロントから連絡があった。「イブヘンドリーナがきてます」エエッ、約束はあさってなのに、まちがえちゃったの? インターフォンごしに話してみると「近くまで来たから」とイブはおっしゃる。とにかく、約束はあさってだし、他の人の分もうけとれないので、帰ってもらった。「もう、なに考えてるかわからなーい」とAは頭をかかえた。

 そして約束の水曜日、やはり40分ほど遅刻していらっしゃったイブに、ニョニャたちは理路整然としたインドネシア語で値引きをせまった。仕立ての期日に遅れたことを理由にして。ところが、イブは婉然と笑い「あーら、すごく似合うじゃない。早く鏡でみてらっしゃいな」と、あっさり受け流してくれた。やはりニョニャ対イブの勝負は圧倒的なイブの貫禄勝ちに終わった。我々の間では「ヘンドリーナとは縁切りだっ」という声があがっているが、また一ヶ月ぐらいすると頼んじゃうんだよね、きっと。
だって、まともに立体裁断ができる仕立て屋さんって、ヘンドリーナさんだけなんだもん。


1999January25th
Selamat Hari Raya Idul Fitri

 さて、ラマダン(断食月)があけて、イスラム教徒にとっては盆、暮れ、正月が一緒になったよりもっと楽しみなハリラヤがやってきました。
 18日に断食が終わったら、そのあとは大騒ぎして19、20日は祝日。みんなプレゼントをかかえて田舎に帰り、ジャカルタの機能は一週間停止します。会社もインドネシア系のところはお休みだし、レストラン等、ホテルをのぞく街のお店は休業。メイドさんも運転手さんもいない。
 つまり、普段自分で運転しない(してはいけない)バス、タクシーにものれない(のってはいけない)日本人村の人は、外出できなくなるんですね。というわけで、その間はジャカルタを脱出するのが普通の過ごし方。我が家も健康診断を兼ね、シンガポールにいってきました。

 正月バリに行ったばかりでなんて「贅沢」という見方もありますが、ラマダンの方が毎年11日づつずれこんで、(イスラム暦は一年がちょっと短いので)どんどんお正月とクリスマスに接近していっちゃうんだからしょうがない。来年再来年あたりはクリスマス、正月も巻き込んだ大イベントになることが予測されています。
 シンガポールは、前に日本から行った時は何とも思わなかったのにジャカルタの住民になってからいくと「なんてすごいとこだっぺ」って思わずおどおどしてしまいます。
 同じアジア、それもすぐ近くなのに、さすがアジアの優等生の国は違う。リークワンユーが今日経の「私の履歴書」に登場していますが、あの人って小学校の頃から一番とか二番になったことしかない。そういう人がつくった国だからでしょうか? まず、ジャカルタではいばっている中国人がお給仕してくれるので、つい恐縮してしまいます。こっちの中華料理屋では経営者は中国人でも、働いているのは全部インドネシア人。お茶なんかつがれると、「へへーっ」って感じです。あと、緑が結構多いのにホテルで蚊にさされない。
(ジャカルタではどんな高級ホテルのレストランでも、しかもギンギンにクーラーがきいていても、絶対蚊にさされます)


 店員さんに何を聞いても、ちゃんと答え(まっとうな答え)が返ってくる。(ジャカルタではその売り場の店員でも、目の前で売っているもののことを何もしりません。
まして「XXはどこで売ってますか?」なんてことをたずねようものなら、永遠に売り場をさまようことに。)
ただし笑顔がない。久々に中国人の無愛想なノリを思い出しました。香港なんて、靴のサイズだしてもらう
だけで、喧嘩してるみたいだもんね。不愉快を感じさせるくらいの無愛想さでも、やることはちゃんとやるシンガポール。笑顔だけは一流だが、何の意味もないインドネシア。

はたしてどっちが住みやすいか?
街はきれいだし、こじきはいないし、同じイスラムでもマレー系住民は、豪華なハリラヤの衣装で街をそぞろ歩く。それでも、現地の人に言わせればクリスマスのオーチャード通りの飾りが、今回はすごく地味だったとか。しかし、インドネシアはMonetary Crisisだけど、シンガポールはEconomical Gloomだもんね。
 さて、19日にジャカルタに戻ると、ジャカルタの夜の暗いこと。18日はホテルにご飯を食べにいった人が、人々が道にあふれ、ホテルから帰れなくて泊ってしまったくらいにぎわったらしい。
でも、もうみんな帰郷してしまったから道のおもらいも、空港のしつこいポーターももちろん我が家のメイドちゃんもいない。

 実を言えばジャカルタにきてから一度も自分で掃除洗濯をしたことがないわたくし。おそるおそる洗濯機を使ってみれば、自分で水を入れて、いっぱいになったら止め、それから15分のタイマーをかける全手動型。そばにいないと水もあふれるし、15分たってもブザーもならない。夫婦二人とはいえ、暑い所ゆえ、洗濯は一日も欠かせない量。
 家事をしていると汗がぽたぽた吹き出て、再び洗濯物が増える。いっそ全裸家事主婦になりたい。アイロンはサーモスタットも、温度調整のスイッチもないので、自分でコンセントをぬいたり入れたり。夜、ごみだしに行けば、近所の犬が総出でほえる。メイドさんを使っていない友はなんてえらいの……と、感心していたら、マンションは全自動洗濯機があるんだって。
それでも、つい2、3年前は、メイドさんがいる家は洗濯機も買わず、手で洗ってもらっていたそうです。もともと自宅通勤OLという一番家事から開放されている独身生活をおくっていた私。しかも、料理以外の家事ははっきり言って大嫌い。
そのままこんな所にお嫁にきてしまったので、ああ、日本に帰ったらどうなることやら。自分で言うのも何だが、こんな女を嫁にもらうと一生の不作ですぜ。一人暮しをしたことがない女性を、お嫁にもらう時は、過度の期待をしない方がよいでしょう。
 というところで、ハリラヤが終わると、そろそろまた学生が動き出します。宗教対立も激化しているし、今年はどうなることやら。
前田美紀


1999Janeary10
 皆様明けましておめでとうございます。今年もどうぞよろしく。クリスマスカード及びメールありがとうございました。
 さて、12月に二週間ほど日本に帰国しました。皆様からのメールがあまりに景気の悪い話ばかりで、日本に変えれば不況の風を体験できるかと思いきや、やっぱり久しぶりに見る日本は豊か。
ハローワークにでも行けば、実感できたでしょうが、街を見る限り、人はでてるし、商品も豊富。帰国したニョニャの病気として、コンビニに行って山ほど買い物しちゃうコンビニ症候群とういのがあります。私もしっかりそれにかかりました。いわゆるコンビニグッズ、一回用の化粧品のパックとか、レンジのお掃除洗剤とか、ウェットティッシュの携帯版とか、つまり日本らしい細々した便利グッズが、宝の山に見えて買い込んじゃうんです。こっちにはないからね。

 赴任する時にだんな様の「何でもあるから」という言葉にだまされ、後悔を噛締めた人は多い。男の目から見れば何でもあるように見えても、日本人のニーズにあわせた、細かいものは絶対ない。「和菓子もある」といわれて来たら、それはインドネシアのジモピー菓子、草餅のようにみえても、あんこのかわりにバナナが入ってたりするんです。でも一見和菓子に見えないこともない。

 さて、インドネシアに戻ると、今は断食月(ラマダン)の真っ最中。12月20日から一ヶ月間、イスラム教徒は飲食、喫煙(厳密に言えば身体に入る一切のもの)を日の出から日の入りまで、断ちます。毎日の断食入りと明けは新聞に掲載され、だいたい4時くらいから食べちゃいけないから、午前2時に市場に行き、3時に朝食、午後6時10分くらいに明けとなって夕食です。つまり12時間以上飲まず食わず。
 敬虔な信者はつばも飲まない、点滴も拒否する。宗教的にもっとも盛り上がる季節で、政治運動、学生デモも断食休戦。テレビではヘンな宗教ショーみたいなのをやっている。ジャカルタには久々にどこでも行ける平和な日々が戻ってきたというわけです。そのかわり、インドネシア料理屋にランチに行けば、午後三時からしかやっていなかったり、マックのガラス張りの席もカーテンがかけられている。

 運転手は睡眠時間が短いので、こっくりしそうになるし、断食明け(午後6時すぎ)には家に帰さなけりゃいけない。金持の家では毎晩の断食明けの食事はパーティみたいだし、普通の家でも、ごちそうをつくって食卓を囲みます。たまたま渋滞にはまって、この時間運転中だったりすると、「ちょっとどこかで飲んできたら」なんて気を使います。うちのスヨノさんはあまりそんなにがつがつしていないけれど、「すごくのど乾いてるんじゃないかな」とこっちの方が気が気じゃない。友が断食明け直前のマックに行ったら、みんな注文をすませ、トレーを前におき、コーヒーにミルクまでいれて、ひたすらカウントダウン状態。この時間にスーパーに行ったらレジ係りが10台のレジのうち二人しかすわってなかったもんね。

 友人の日本人女性もイスラム教徒になって初めての断食。(彼女はインドネシア人と結婚するんです)慣れないうちは、時々きゅーんと胃が痛くなるそうです。やはり一種のお祭り月なので、夜通しパンパン爆竹が鳴り、地方では自家製の巨大爆竹で死傷者もでたそうです。
 しかし、イスラムの国でも、クリスマスの飾りはどこにでもある。年が明けてもある。こちらの人は派手好みなので、ツリーも思いっきりキンキラしてます。12月に生木(きっともみの木じゃないけど、それらしく見える)のクリスマスツリーをゲット。メイドさんと門番さんと一緒に蚊にさされながら飾り付けしました。

 電気のチカチカする飾りがないといわれ、わざわざ近所のスーパーに買いにいきました。でも電飾が無職の奴を買ったら、「色がない」と不満そうな門番さん。ほんとーに派手好きなんだから。教会が焼き討ちされる事件があったばかりなのに、時勢もかえりみず毎夜、私がスイッチをいれるまでもなく、庭でチカチカしていました。

 年末年始はバリに行きました。お昼時、飛行機の中の機内食をみんなどうするのか興味深々で見ていたら、しっかりとってる。なんだ、最近断食しない人も増えてるって噂は本当だったんだ。と思ったら、やけにトレーが空になるのが速い。隣のグループは機内食を全部さらってお持ち帰りにしていました。

 話はかわりますが、今年の年末年始の特番で、おもしろかったものがあったら推薦してね。(含む時代劇)泊ったホテルにNHKは入っていたが文字放送だったので、紅白は見られませんでした。こちらには日本人だけを相手にしたレンタルビデオ屋さんが二軒あり、新しいドラマも二週間のタイムラグで三泊1ドルで借りることができます。紅白は1月10日入荷予定でしたが競争率が高くてきっと無理でしょう。

 やっと新年を迎えましたが、せっかく外国にいるのに、まだインドネシア人の友達ができない私。かろうじて友達といえるのは主人の秘書と、大学の先生くらい。(それもどっちも華僑系)相変わらず、私の住所はインドネシア国日本村です。今年の目標はインドネシア人の友達をつくること、にしようと思っています。
前田美紀


1998November21
 お騒がせしてすみません。結局今週の火曜日から家に戻りました。何か大きなニュースがあったら、メールを
送ろうと思って待っていたのですが、今のところ、たいしたことはおこっていません。
ただ、ほ、「大丈夫?もう家に帰りましたか?」というメールを沢山いただいたのであわててご報告。
 日本で報道された11月15日以降は、学生も疲れてしまったのか、今ひとつ盛り上がりません。
ただ、11月14日15日あたりは、知事から夜間外出自粛令(こう書くとすごいことのようですが、まあ、夜は出歩かないでねというお願い)が出て、日本大使館からも外出自粛令(と書くと
やっぱり大事ですが、なるべく外出しないようにね、といういつもの奴)
という電話連絡。さらに夫の会社からも外出禁止のおふれが。(でも、もう既にみんなゴルフ場に行ってたけど
なあ)


 事件といえば、空港からの道がストップしてみんな空港のロビーで寝た翌朝、開通したばかりの高速で友のだんなが暴徒に襲われた。10人くらいの棒を持った男たちが立っていて、そこを突破しようとしたら、投石で車をぼこぼこにされました。今週は水曜日くらいから、なくなった学生達の追悼集会。さらに散発的なデモがたらたら続き、外出する時も何となく落着かない。
 ねっ、大したことないでしょ? さて、今回の事件は学生が主役。在インドネシアの日本人で、全共闘世代の方々は放水車で追われ、警官にぼこぼこにされる学生の姿を見て、ノスタルジーにかられていらっしゃる。インターネット上で、「学生運動のレベルが低い」とか本物の学生(日本語学科らしい。でも、装った日本人かも)も交えて大討論会。
 よその国のことですが皆一言いいたいらしい。ここの国で火炎ビンが登場したのも、今年の5月が史上初らしいのですが、まさか、全共闘世代のおっさんが教えてたりして。あと、竹槍なんかも日本軍が占領してた時に、軍事教練で教えた奴だったりして。頼むから腹腹時計の作り方なんか教えないでちょうだいね。12月の頭から2週間ほど帰国します。その時にお会いしましょう。
前田美紀


1998November14
 さて、再びホテルから皆様にメールすることになろうとは。
というわけで、13日に死者を出した学生デモは国民協議会が終わった後も継続。本日は午前中は平穏だったのですが、午後から学生が協議会の行われていたビル(MPR)へデモをし、警官、国軍とのにらみあいの末、MPRを占拠。さらに、いわゆる一般市民による暴動も前回もやられた中国人街から発生。我が家の近辺はなんともないのですが、既に我が家のあるコンプレックスは中国人が逃げてしまったらしく、明かりもあまりついていない。大事をとって近所のホテルに14日午後に移りました。

 5月の暴動との違いは、コントロールされている学生デモなのでみんな甘く見ていたこと。MPR開催中も、ブリッジに行くヒトあり、食料の買い出しに行くヒトあり。こちらのデモは通常昼ごろからだらだら集まり、午後から夜にかけテンションがあがり、雨が降ると解散というパターンなので、午前中は比較的動けるのです。しかし、ことをややこしくしていたのは自警団という学生デモへの敵対グループ。政府の偉いヒトが地方で、仕事がなくぶらぶらしていたヒトたちを雇って、ジャカルタにつれてきたから大変。一日一万ルピア+あごあしつき。彼らの持っていた武器は竹槍でした。昨日死者12人というニュースが流れ、本日の外出をみあわせるよう今日の午後、会社の電話連絡網が回った時には、だんな様がたはゴルフ、奥様がたは食料品の買い出しと、だーれも家にいませんでした。午後からどんどん高速が閉鎖になり、ついにゴルフ場から帰れないヒトも。

 5月暴動はいつ内戦になるかという怖さがあったのですが、今回はそういう緊迫感がない。しかも、5月からこっち、毎日小さなデモがあり、なれっこになってしまったからですね。しかし、中国人の避難はすばやかった。月曜のMPRが始まる前にかなりのヒトが国外、またはバリに脱出。おかげで前回の暴動の時は部屋を求める華僑一家でこみあったホテルのフロントもがらがら。どこも稼動率10%ぐらいです。
 腰が軽く、フットワークのいい華僑にくらべ、例え駐在といえど、一度落ち着いた場所からはなかなか動けない日本人。コスモポリタンとしての歴史の差でしょうか? 明日は家に帰れるといいのですが。
前田美紀


1998November13
戒厳令下の駐在員夫人
5月の暴動から半年、ニョニャ達が平和なじゃかるたをエンジョイしていたのもつかの間、インドネシアは再び熱い政治の季節に突入しました。10日より国民協議会(5年に一度の国会みたいなもの)が始まり、それとともに、反現政権色を強めた学生デモも本格化。昨日より警官隊と衝突し始め、さらに地方から竹槍持った自警団(政府派)が上京し、もうわけわからん状態。今日は半ドンで社員を返した日系企業も多く、明日は更に多くのデモ隊がでるという噂。明日は日商岩井と伊藤忠はお休みらしい。前回、外部のクライシスマネジメント会社のアドバイスにより、逃げっぷりも鮮やかだった日商岩井の今回の動向は注目の的。夫が半ドンで帰宅してくると、あの5月14日を思い出し嫌な予感。
 5月の経験を生かすという意味では、日本人学校は今週いっぱいすばやくお休みを宣言。
5月の暴動のときに迷彩服姿の兵隊さんや町中を走る戦車を見て、「ああ、こんなことが人生にあるなんて」と、感慨もひとしおだったニョニャ達ももうすっかり、町角の兵士の姿には慣れっこ。(皆さん、もちろん実弾の入った軽機関銃をもっていらっしゃいます。)デモなんて毎日どこかでやってるし、人間どんな状態でも、それが日常になってしまうのは速いものです。
 そんな状態で、のばなしだったニョニャ達ですが、自己責任が大好きな商社以外は、この月曜日から家族の外出を禁止する日系企業も多く、家に引きこもってストレスが溜まりまくる状態。
 そんな時何よりの暇つぶし「シャドーボックス」が一番人気。世界の駐在員夫人の間で愛好されているのは、伊達じゃない。どんな危機にも対応できる遊びだからなんですね。さらにe−mailも必需品。前回も自宅篭城をなぐさめ、情報を運び、大活躍のメール。今日も「退屈で死にそー」というメール
が何通も入ってました。
 前回のじゃかるた通信に書いた通り、メイドさんの存在によって一切の家事から開放されているアジアの駐在員夫人達は、家にいても何にもすることがないんですね。インドネシア語で英語のriot(ばか騒ぎ)のことを「ラメラメ」といいます。町中がなんとなく浮き足だったラメラメ状態。このコンプレックスの中国人はもうほとんど国外に出ています。前回のような暴動騒ぎは、計画的な先導者があってのことという結論が出ていますが、何かのタガがはずれてしまったこの国では何があってもおかしくありません。
 大学でよくインドネシア人の先生に聞かれるのは「日本にもこのような学生運動があったか」という質問。全共闘世代は遥か遠く、知識のない私にはもう、あの闘争が何のための闘争だったのか答えることができません。今回の学生運動が後世にも、「政治改革」の名の下に語られることになるといいのですが。こんな時にNHKの衛星放送は、有料化になり、1800ドルの契約をしないと見られないことに。ちょっとタイミング悪いんじゃない?NHKさん。
前田美紀



1998October20
 駐在員夫人のディープな世界 アジア編
「駐在員夫人のディープな世界」は去年結構売れた本で、こちらでも回し読みされています。この本は商社OLあがりで社内結婚でアメリカ駐在に行った奥さんが書いたもの。主に日本人の奥様同士の思いっきりディープな世界のお話。つまり異文化の中で、暴走する日本人社会での体験談ですが、アジアの場合、その上自分の使用人との関係もディープに加わります。つまり日本人社会の中で暮らしていても、否応なしに体験しちゃう異文化との軋轢があるわけです。以下はジャカルタ駐在のニョニャ(奥様)の実話にもとづいております。

 使用人の中にはいい子もいるし、悪い子もいる。でもイスラムの文化では富める人が貧しい人にめぐむのは当たり前。だから、かるーい気持ちでご主人のものを拝借するのは、よくあること。特に食料なんかは一番しっけいしやすいもの。ニョニャ達はこうやって攻防戦をしています。
1.米びつには「の」
 米びつのふたを開けてのの字を書いておくのはトラディショナルな方法。つまり
メイドさんが勝手にお米を使ったらのの字が崩れるのですぐにわかる。でもどうして「の」なんでしょうね。「へのへのもへじ」じゃやりすぎだけど、別に「へ」でも「い」でもいいような気がします。でも駐在員の間に受け継がれる正統派はあくまで「の」でございます。

2.いっぽん、にほん、いんげんを夜中に数えるニョニャどうもいんげんが減ってるような気がするけど、こちらではいんげん一束のポーションが多いので、どうにもよくわからない。友Aはメイドさんが寝てしまったあと、真夜中に「いっぽーん、にほーん」といんげんの数を数えた。翌日使おうとしたらやっぱり減っていてその旨をメイドさんに言ったら、とぼけた。
「でも私数をかぞえたのよ」といったら絶句してしまったとか。(でも夜中に数える姿はまさに番長皿屋敷ですね)同Aは一時帰国する前もお米の残量を計って大きく数字を袋に書いておいたそうです。でも帰ってきたらやっぱり減ってた。メイドさんはその数字が何を意味するかわかっていなかったんですね。ほかにも、卵に番号をふる、油のボトルにマジックで線をひくなど、いろいろ方法はありますが、やっぱりなくなるときはなくなるんだよね。

3.お化けの話をするメイドに注意
 お金を盗る二人組みの神出鬼没のお化けの話をしてくれたメイドさん。でもなんでこんな話をしたのかというと、自分が生活費をくすねてしまったから。すぐにばれちゃったけれど、なかなか手がこんでいるのでざぶとん2枚。

4.下着も洋服もみんな盗られた!
 日本に帰ってる間に下着を全部盗られた友B。でも日本に持って帰ったっけとしばらく気づかなかった。ある日メイドさんが留守の間にお部屋をチェックしたら下着も洋服もみんなあった。すぐにやめてもらったそうです。

5.単身赴任者家庭の華麗なメイドライフ
最近帯同解除(家族は日本に返す)の会社がふえ、ジャカルタから次々ニョニャの姿が消えていきます。奥さんや子供のいない家のメイドさんは優雅なもの。仕事が終わったら同じマンションのメイドさんとおしゃべり。ご主人はどうせカラオケで夜遅いので「夕食はAちゃんの家で」なんて約束して楽しそうに料理して集まっている。
某氏の家では、帰宅するとメイドさんが居間の
ソファにすわってテレビを見ながら奥さんの
ように「おかえり」といってくれる。
でも、どいてくれる気配もない。
あっちに行けといえないし、かといって
奥さんじゃないから、一緒にすわって
テレビを見るわけにもいかない。
気弱な某氏は、仕方なく寝室に引き上げる
そうです。

6.しいたけはいずこ?
私の家で今までなくなったものは、私が確認している限りはオーストラリア産オレンジ一個。レモン一個。椎茸一パック。「あー、あれがあるからいいや」って買わずに帰って、料理の最中にないと結構パニック。(オレンジの果汁を使った酢のものの時は本当に焦りました)そういう時メイドさんも一緒に探してくれる。この家に泥棒が入って椎茸を盗っていかない限り彼女しかいないのに、あまりに自然な演技は、助演女優賞もの。でつい、自分の勘違いかなーと思ってしまう。でも、やっぱり盗られてるんだよね。なぜ、なぜ椎茸なの?
以上せこいとお思いでしょうが、やはりどんなに安いものでも黙ってしっけいされるのは腹のたつもの。食料ですんでいる内はいいけれど、エスカレートされるのが心配です。あまりにひどい子の場合はやめてもらうしかないけれど、普通は明らかに「やったな」と思われる場合でも「盗ったでしょ」なんて絶対言っちゃいけない。(といわれている)間接的に「私は不愉快に思っているのよ」と伝えるしかない。えっ、どうやるのって?それは冷蔵庫のドアをバーンとしめるとか、そんな「とほほ」な方法なのさ。

7.リサイクルの魔術師
完璧なリサイクルシステムのジャカルタ。出したごみは必ず開けられると思ってよい。特にマンションの共同のごみ箱は要注意。捨てたはずのバスマットを隣のメイドさんが使っていたり、捨てた帽子も管理人がかぶっていたりする。日本人として恥ずかしくないごみを出すためにはかなりの気配りが必要。特に出張者からだんながもらってくる週刊誌のHなグラビアは、運転手さんがみんなで楽しみにしている。友はびりびりに破いて袋に入れテープでぐるぐるまきにして捨てている。(かえって怪しいごみ?)なぜ日本男子はHな週刊誌を買ってからじゃないと飛行機に乗れないのでしょう。
でも基本的にこっちのメイドさんや運転手さんで
日本人慣れしている人にそんなに悪い人はいません。うそをついてもすぐにばれるようなうそしかつけない。年のわりには子供っぽい子が多い。我が家のディナちゃんはだんなさんがいるのにぬいぐるみと一緒に寝ています。ある日帰ったらガレージに椅子がおいてあり、その上に子供がうつぶせで寝てる。と、思ったら巨大な(3才児くらいの大きさ)の赤いタキシードを着たシマウマのぬいぐるみだった。洗ってかわかしている最中でした。ディナちゃん、いったい誰にもらったんだ?タキシードのシマウマなんて日本製じゃないことは確かだぞ。
前田美紀


1998September5
 友あり、遠方より来たる
暴動再発を噂された17日も無事に終わり、そのすぐあとの週末から、命知らずの日本人女子2名、ジャカルタ入り。もとの職場の同僚を我が家に迎え、さらにジョグジャカルタ、バリに、だんなをおいて贅沢旅行。いや、OL時代に戻って楽しかった。
 友2名はガルーダエアで到着。バリ経由便だったが、ほとんどの日本人客はバリでおり、取り残された二人は、国内線と化したガルーダの客と一緒になんと通関せずに、ジャカルタ入り。へんだ、へんだと思う間に出てしまったそうです。翌日ガルーダのオフィスにどなりこんだが、埒があかず、再び空港へ。インドネシアのいいかげんさもついに極まれり。このルートなら、通関せずに入国可能です。
さらにその翌日、お昼の飲茶に行こうとしていたビルで、前日時限爆弾らしきものが見つかったとの記事を新聞で発見。「どーしよ」と思ったが、いつもニコニコ運転手のスヨノさんの「ビッサー(can)」という、ことばに励まされ、飲茶決行。
後日、「やっぱり爆弾じゃなかった」との続報あり。やっぱりね。インドネシアに時限爆弾なんて、高度でお高いものをつくれる人がいるわきゃない。

 さて、新米ニョニャとして3ヶ月をすごした私ですが、やっぱり「この国に染まっている」ことを、遠方からの友の訪れで実感。
この地で4年をすごした友から「みんな日本じゃママチャリに乗ったふつうの奥さんなんだけど、空港の「すらまっとだたん(いらっしゃい)」っていうアーチをくぐると人が変わっちゃうのよ。病気みたいなもん」とか「暑いからだんだん気が変になって、みんなでおそろいのダサーイ花柄プリントを、ワンピースに仕立てて着てる」とかさんざん脅かされておりました。
まさか、3ヶ月で花柄プリントはきていませんが、以下染まった事例を列記します。

1.お金にせこい
 何しろ休暇中の外資系金融社員と、職なし専業主婦の違いはあれど、この国のあまりに低い生活費にジモピーとして染まっている私はすっかりお金(とくにルピア)に対してせこくなりました。1万ルピアなんて100円くらいなのに、そのお金でうれたマンゴーが2つは買える、と計算している自分を発見。1ドル返してもらうのも「ルピアにして」と通貨指定して、しまいました。

2.すでに「えらそー」
 我が家に2泊したお二人、旅慣れている故、メイドさんがベッドメークに部屋にはいることや、食器などのあとかたづけも全然しなくていいことにも、「ホテルと一緒」感覚ですぐになじんでくれました。でも、どこにいくにも車と運転手さん付きというのには、やはりなじめないようでした。バリでも一日25万ルピアで運転手を雇いましたが、(ジャカルタの感覚ていうと、一ヶ月のお給料の葯半分)運転手さんをホテルのロビーで何時間も待たせても平気な私に比べ、二人はちゃんと気にしてあげている。お昼もおごってあげる。私にしてみれば、運転手さんは待つのが仕事。2週間分のお給料を一日で払ってるんだから、お昼なんて、とってもおごれない。ニョニャの先輩に「メイドさんを雇ってる人って、一年たつと人がかわる」といわれたことがありますが、これってその兆候でしょうか?

3.時々きれる
 主人はインドネシアのプロで、この国ののんびりペースや、いいかげんさを十分わかっているくせに、時々切れます。友のご主人たちも同じく。私には「気長にね」というくせに、なぜ、と質問したら、「時々きれてみせないと何事もすすまない」からだそうです。私も今回ガルーダのオフィスで一度切れ、あとバリでやとった運転手さんが泊まったホテル周辺を全然知らなかったので一度切れました。でも、友にはそんな私の態度が「鼻持ちならない日本人」に見えたかも。ゆるして。でも一日25万ルピアだから頭にきたんだよー。

4.この地に染まる条件
 今回つくづく思いましたが、この地に染まりやすい人と染まりにくい人がいま
す。私はたまたまメイドさんに恵まれ、ストレスなくやっていますが、
すごく使用人のことを考え、気持ちを思いやって使っている
人ほど、めぐまれないことが多く、結果ストレスがたまる。
 うちの場合、家で食器を割った唯一の人は私自身ですが、
買ってきたものの値段がわからないように値札を
はずしたりしていた人は、
メイドさんの月給より高いカットグラスを使う前に
割られたそうです。
 この地には「ティダアパアパ(ノープロブレム)」という言葉
がありますが、つまり何事も「ティダアパアパ」な人、
つまり無神経な、がさつな人ほど適応が速い。
掃除の仕方なんかも、最初は細かく使うぞうきんや
スポンジ、洗剤を分けて指定してましたが、
今やトイレと食卓さえ、一緒じゃなけりゃ
「ティダアパアパ」にしています。

 バリからの帰りの便で、インドネシアの彼に会いに「名古屋―バリ―ジャカルタ」でのってきた若い学生の女の子と一緒になりました。「友達が迎えにきてる」と言っていたけど、いとしい人に会いに海を超えてきたのは一目瞭然。バリではよくあることですが、ジャカルタの彼とはめずらしい。岐阜の人で、家の近所の工場に集団研修にきていた工員さんと知り合ったそうです。真剣に「こっちに就職はあるか?」とか「住んだらどうか?」と聞かれました。あと「商社の奥さんで海外に住んでる人って初めて見ました」ともいわれた。どういたしまして。ジャカルタにははいて捨てるほどいるし、私も話には聞いているけれどインドネシア人の彼のところに来る女の子と会うのは初めてです。彼女にとっては今日がインドネシアへの第一歩。おばさん心を出しこっちの人ってキラキラ(アバウト)だから、もし迎えがいなかったら家に泊めなければなんて、はらはらしていたら、全然心配なく無事彼女は彼のもとへ。その瞬間、どちらかというと、まったく色気のない、

 子供っぽい小柄な彼女が、セクシーといっていいほど、「おんな」の顔に変貌したのは、驚きました。女ってこうやって、いろんなことを乗り越えていくんだなあ。多分彼はものすごく貧乏ではないけど、普通の家の人。こっちの普通の家は電話もないし、トイレ(紙をつかわない式)とかショックを受けるかも。恋をしている若い心にとっては問題じゃないかも知れないけれど、ここには日本人には想像しがたい貧富の差があります。日本だってクラスはあるけれど、その間は絶対超えられないほど広くはない。2台の車と二人の運転手さんに迎えてもらう私と、彼女の立場がいれかわっても何の不思議もない。私たちは二人とも日本人だから。でもインドネシア人同士だったら、その差はこの国がものすごく変わらない限り、絶対に埋まることはない。それでもこの国に嫁いでくる日本女性は沢山います。自分の手で、自分の運命を大きく変える扉を押しあけて。結婚はやはり侮りがたい運命の扉です。
 一年たったらこの病「ニョニャ病」はどこまで進行するのか? また一年後に誰か遊びにきてね。すっかり鼻持ちならない奴になってるかも。待ってます。
前田美紀


1998August5

 ご無沙汰しております。ジャカルタに戻り、はや一月以上。日本人は本帰国になる家族が増え、単身赴任者増加傾向。経済危機の中、ルピア安を享受し、後ろめたく思いながらも買い物、ゴルフなんかしていたら、小渕政権誕生であっというまに円安。一万ルピア百円の黄金時代も終わりつつあります。
昨日見知らぬインドネシア人男性から電話あり。どうせ間違いだろうと適当に応答していたら、「むりあんとー」と向こうが言う。「むりあんとー」とはうちの門番さんムルの正式名称。私のつたないインドネシア語の知識によれば、どうもパパらしい。こっちの田舎の家は電話なんかないのが普通。門番さんのパパから電話があるなんて、こりゃいかん。誰かが死んだり、病気したりの、一大事に違いない。
あわてて呼びに走ると門番さんはイタチを連れてお散歩中。(ほんとは門番はいなきゃいけないんですが)かわりにお嫁さんのメイドさんが話した。
 夫が帰ってきてから何があったかきいてもらったら、門番さんの弟が家出して、仕事を探しにジャカルタにきているらしい。実はもう前の日に兄貴のところに顔を出していました。経済危機で、食べられない人がジャカルタに各地からやってくる。でもジャカルタで失業した人で帰郷するバスが満員の昨今、仕事なんかあるわきゃない。このままじゃ、「道の人」になっちゃうよ。ということで、今回は「道の人」のお話。
「道の人」とはジャカルタの信号待ちで、車をとめていると必ずよってくる人のことです。どんな人かというと、
1)新聞雑誌、スナック売り
「キオスクボーイズ」と呼んでいます。車社会のジャカルタではキオスクのかわりに機能。小学校低学年からの少年がほとんどで、なぜかタイガーウッズの子供の頃みたいな子ばっかり。経済的に学校をやめて、道に出る少年の増加が問題になっています。排気ガスがすごい中、重い新聞を抱えるボーイズは本当にかわいそう。でもインドネシア語の新聞じゃ買えない。
2)こじき
 いわゆる、物乞いさん。最近すごく増えた。子連れ、盲目のおじいさんと子供、片足の人。おかま。黒い顔に目いっぱいメイクして、おしろいが白浮きしているおかまの人を、強烈な太陽の光の下で見るのもこわいけど、一番恐いのは障害者の人。頼むから指のない手やなんかを、車の窓にへばりついてみせるのはやめて。こわい。でも、いつも同じ場所に同じ人。もう慣れた。
3)ブンガメン
「歌う人」ギターを抱いた渡り鳥、じゃないけど、とまっている車の窓で歌ってくれる人。盛り場なんかの流しから、プロになる人もいるらしいが、昨今は、仕事のない若者が、ギター一本で始めるから、音程もメチャクチャ、歌にもなっていません。ただどなっているだけ。結構しつこくて、囲まれたり青になっても車の前からどかない、ゆすりたかりまがいの人も。ちなみに新聞売りは体力がいるので、脱落すると、歌う人になるらしい。
4)おもちゃ売り
 卸もとがいて、季節ごとに売っているアイテムが変わる。ラジコンカーみたいなの。
あひるの浮き輪。ちょっと前まではビニールの空気をいれる巨大トンカチ。今は
パズルみたいなのが、流行のアイテム。
番外:地球売り
 この前初めての道を通ったら、なんと前からぞろぞろ地球儀が行進してくるじゃありませんか。ジャカルタに来て、一番びっくりした光景。冷静に見れば、地球儀売りのボーイズたちが、肩にひとつづつ、人の頭の3倍はありそうな大きな地球儀を売りにきている。それも10人くらい列になって。こんな道端で、しかも信号待ちで、いきなり欲しくなって地球儀を買う人ってどんな人?
 しかも買ったらしっかり「ソビエト連邦」なんてあったりして。車が動き出すと、みんな中央分離帯に引き上げる。見ればもう暑くて売る気のない人々は木陰でお休み。傍らには一人に一個、地球儀。なんとも、野田秀樹のしばいに出てきそうなシュールな光景でありました。
日本は暑いそうですね。もう毛穴がしっかり開いた私は夏の甲子園に応援に行けそうです。それではまた。お元気で。



1998July15

日本は暑い日々が続いていますが、不思議なことにジャカルタは日本より涼しいです。
4月赴任時と一番違うのは、まず暑さ。毎日クーラーがなくてもすごせます。この家もとても快適です。そのかわり乾季なのに一日一回はすごい雷雨となり、水とりぞうさん(乾燥剤)もすぐにいっぱいになってしまいます。
あと、ルピアがきり下がり、4月は50で割っていたのが、今は100.つまり1万ルピアが100円です。輸入食品以外は何でも「日本円なら…」と考えるとすごく安い。しかしブランドものはしっかり値上げしていますので、ジャカルタ行きの飛行機に飛び乗らないようにしてください。
 生活はいろいろ言われていますが、あまりかわりません。でもショッピングセンター前で運転手を待っている時強盗にあうとか、車をロックしていないと乗り込んでくるとかいろいろ噂はありますので治安は確実に悪化しているようです。
実感としてあるのは物乞いがふえたこと、高級ショッピングセンター、特に中国人経営のところの品揃えが悪く、一軒では買い物が終わらない。つまり、西武の地下にいっても、香辛料なんかないものは絶対ない、という状態です。
日本人相手のスーパーは、一軒は2フロアを1フロアにしてしまいました。運転手さんに庶民の市場(パサール)にはものがあるか、ときいたら「スディキット(少し)」という答え。今年は米不足は確実だし、この異常気象で来年もあぶない。先は厳しいです。デパートは店員の首を切っているし、フロアにいる店員もまったくやる気がなく、なにを聞いても「知らない」と答える。
前政権と深く結びついていた経済のシステムが崩壊しかかっているので、流通なんかも確実にだめになっています。そして、インドネシアの人たちはどんどんやる気がなくなってきているようです。がらがらのマーケットで、おしゃべりばかりしていて、棚もそろえる気のない店員さんをみていると、ちょっとこわい。国がどんどんだめになっていくってこういうことでしょうか。日本はいくらだめになっても、まだ明治屋の棚がそろわないなんてことはないですものね。
ハビビさんは週二日断食すれば、食料不足は解決する、というすごい発言をして、日本でも評判になったそうですね。誰も相手にしないだろうと思っていたら、私の運転手さんと主人の運転手さんはちゃんとやっていました。そういうところは、まだこの国はあなれないというか、懐の深さを感じます。でも、断食というのはあくまで、朝4時半ごろ朝ご飯を食べて、日が沈むまで何も口にしないこと。家庭教師の先生は、夕ご飯をたくさん食べてしまうのでダイエットにはならないと言っていましたから、あまり節約にはならないそうです。こんな国で、主人が突然接待になって、あまった夕ご飯を捨てるのはとても心苦しいです。
それではまた。


 6月27日、ジャカルタに戻ってきました。日本で遊んでくれた方、難民だからとご飯をおごってくれた方、お世話になりました。なぜか、女の子はわたしに会うと和菓子をくれる人が多かった。ご心配いただきましたが家は無事。メイドちゃんのおかげできれいになっていました。
家族が避難したあとのことをきいたら、5月19日の夜に空港に行きシンガポールに避難した主人たちですが、なんと行ったら席がとれていなかった。19日のジャカルタは大統領支持の軍(娘婿がひきいる)と国軍の一触即発状態でかなりやばく、このまま国外に出られなかったら、と真剣に焦ったそうです。シンガポール行きの22時30分の便が離陸したのはなんと夜中の3時。
 ついたら明け方の4時。それでもシンガポールオフィスに誠意を見せるということで、着いてすぐにオフィスにいったら、ものすごく邪魔にされた。なにしろ、ジャカルタオフィスから避難した人数のほうが、シンガポールオフィスより多いんだから、そりゃうろうろしたら邪魔です。結局一週間シンガポールにいましたが、OLのごとく買い物に明け暮れたそうです。某M商事は同じパターンで、全員19日に東京に帰ったそうですが、ここでも邪魔もの扱い。初日は、ちやほやされ、2日目からは「インドネシア対策室」という名前の部屋をあてがわれ、そこに押し込められたとか。でも基本は毎日通常出社。さすが日本の商社。
 どこの会社もまだ半数ぐらいしか家族は戻っていないそうです。日本人学校にいたっては10分の1の人数とか。町の様子はかわっていませんが、なんとなく外人が少なく、なんとなく車も少ない。強盗が増え、治安は悪くなっています。政権がかわっても経済的なダメージは深くなるばかり。もう日本のメディアからは忘れられてしまったインドネシアですが、本当の再生はこれからが山場です。
日本は暑かったのですが、インドネシアは今は乾季のはずなのに、涼しい(ここにしては)日が続いています。日本の梅雨のほうがしんどかった。皆様御身体にお気をつけておすごしください。
前田美紀